ии ジェットストリーム ии



城達也さん・・・亡くなって、間もなく15年になろうとしてます(命日は2/25)






oyakataの年代の人間にとってのラジオの深夜放送は、特別な存在でしたが・・

その中でも、この、城達也のナレーションは絶品でしたなァ(^・^)



今はこうしてネットで、映像と一緒に聴く事はできますが

当時だって、番組が始まって音楽「ミスター・ロンリー」が流れ彼のナレーションがそれに乗って運ばれてくるともう、今このYou Tubeの映像・・もしくはそれ以上の光景が目の前にパ~~っと拡がって感じられたもんです(^^♪





しかし・・当時の「日本航空」絶対的権威と憧れの的だったよなァ

今みたいに海外旅行なんて手軽じゃなかったし

第一、日本航空しか国際線はなかった時代ですから、oyakata世代はね(^_^;)



そんな時、遠く故郷を離れて東京で独りぼっち

ラジオから流れてくる彼のこの声と音楽を、若き青年だったoyakataは

別世界を垣間見るような気持ちで聴いていたもんでした




そんな「日本航空」も、いよいよ外国資本に身売りの憂き目に遭いかけてますな

城達也さんも、あの世でビックリこいてることでしょう(^_^.)




画像




★ この写真ではスーツ姿ですが、ラジオ番組の「ジェットストリーム」の際は、気分を高めるために日航のバイロットスーツに身を包んで、尚且つスタジオの照明を落として収録に臨んでいたそうです。


★ 今、こういった「イージーリスニング」をじっくり聴かせてくれる番組って・・ないよなァ(゜_゜)




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この記事へのコメント

yuu
2009年11月21日 06:10
パイロットスーツと暗闇で~♪そうだったんですか。
あの雰囲気、今でも覚えています。
ラジオって物を与えてもらって夢中になってた中学生時代は、ラジオばかりでしたから。笑
音だけって、想像力が高まりますよね。子供だったけど、静かで落ち着く番組だなぁって思っていました。

当時は音楽番組とラジオ劇を好んで聞いていたんですけど、”モモ”をやった時の録音したテープや、尾崎豊と中島みゆきのトークとか、多分まだあります、笑。今となっては聞く媒体がないんですけどね。苦笑

あぁ~懐かしい気分、わくわくした気分を、思い出させてもらいました~♪♪
ありがとうございました♪
夕刊気をつけて配達に行ってきてくださいね~♪
2009年11月21日 10:34


>yuu   本当にねェ、ラジオって想像力を高めてくれてました。

ラジオドラマも、たま~にNHKでやることがあって、聴くようにしてます。

先日とうとう亡くなった森繁さんも最近までラジオドラマ(日曜名作座)をやってくれてて(去年から西田敏行さんが引き継いでます)楽しみにしてました。


声だけで勝負できるアナウンサーが少なくなってきたのは、TV時代になったから仕方のないことでしょう・・そのTVも凋落しちゃいましたが・・

★NHKの中西 龍(なかにし りょう)
「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます。」この名調子今は聴けませんね。中西さんが亡くなって11年かァ・・


★もっと古いとこでは「竹脇昌作」

竹脇無我さんの父親ですが、彼もNHKアナウンサー時代からの森繁の友人(森繁もNHKアナウンサーだったんだよ)で、だから竹脇無我を息子のように可愛がってたとのこと。

この「竹脇昌作」も戦前・戦中・戦後と続いた名アナウンサーなんだけど、私にとっては映画館で観る「ニュース映画」のナレーターとして懐かしい存在です。

あの「ニュース映画」独特の言い回しで聴かされる日本各地の災害や事件の報道にはドキドキしたものでした。今のTVニュースなんかとは、迫力が比べ物になりませんやね(^。^)



月桂樹
2009年11月21日 14:45
う~~ん。
私が思い出すラジオ放送、まずはラジオ体操、ラジオドラマ(生放送でやっていたらしいね)今で言う昼ドラだね。
母親が真剣に聴きながら家事をしていたのを思い出します。
思春期になると”オールナイト日本!あの音楽を聴くと胸がキュンとします。
東京に居た頃よく聴いていたのが、”夜は友達”題名はこれで間違いないと思うけど、小林いっけいが司会をしていたんだけど、顔が見えなくて、どんな感じの人だろうと思っていたら、数年して福岡でTVを観ていたら本人が出ていました。
観なきゃ良かったと思いましたね(^^ヾ
ラジオは想像を掻き立てるから良いのかもね♪
2009年11月21日 16:32
私は知らなかったのですが、有名ですね。タイムトンネルで戻ったような。
昨今は、乱気流事故に、心配がありますが。
yuu
2009年11月21日 17:45
ちゃらっちゃっ
ちゃっちゃらら
ちゃっちゃら~♪
オールナイト日本も聞いてました、笑
よくも、あんな夜中にねぇ・・・爆笑

森しげさんたら!アナウンサーだったんですかッ???
それは、あたしたちの世代でも知っている人居るのかなぁ~!
月桂樹
2009年11月21日 18:47
森重久弥さんと竹脇無我さんと言えば、親父太鼓だね、私はその辺からの森重さんしか知らないですよ。
当時の竹脇さん素敵なお兄さんでしたが…
私がオバサンになるように、葬儀に参列しついた彼はお爺さんになっていた…
ビックらこいた…
病気でもしていたんだろうか?
調べてないけど…
月日の流れは残酷~
2009年11月22日 07:51


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

>月桂樹  貴女と違って、普通の人には「天は二物を与えず」なんでしょうね。(^_-)-☆

私のお店にも結構ラジオ関係の有名処がおいでになられましたが・・・ま、ラジオだけにしとけば良かった、という方が殆どでした。

勿論、古今亭志ん朝さんのようにTVやラジオでお会いしてた時と全然変わらない素敵な方もいらっしゃいましたけど。 嗚呼、彼も若くして逝ってしまったねェ(-_-;)


※ 竹脇無我は一時は重度の「鬱病」でした・・・彼の父、昌作も重度の鬱病が原因で自殺してますので、息子の無我も気をつけてはいたのでしょうが・・・
幸いにして治療の効果もあって、現在は仕事に復帰してます。


>クロゼット☆ライター    私も国内線でしたが、乗ってた飛行機が着陸直前にジェットコースター状態になった時は、冷や汗物でした。

この時は着陸体勢に入ってた為、ベルト着用のランプが点いてたので怪我人とかはありませんでしたが、あれが上空の水平飛行の時なら重傷者が出るというのも頷けました。

それ以来、ランプが消えてもベルトはしたままにしてるoyakataです。


>yuu  森繁さんは、大学での左翼運動で当局から睨まれてたのと、大学での軍事教練が嫌で、当時兵役に就く事無く、尚且つ外国にも行ける可能性がある職業ということでNHKに入ったとの事。 

これには、彼の周辺のコネの力も大きかったと想像できます(彼は、色々複雑な事情はありますが、結構な家柄のお坊ちゃまでした)

実際、アナウンサーとして採用され、ソ連前線まで行き宣伝放送をしたりして、終戦は満州で迎えます。


☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡